ビレーの街はずれにある酒場「白銀の鹿」は、いつもより活気に欠けていた。冬の終わりが近づき、雪解け水で路地もぬかるんでおり、足元が悪いのが理由の一つだったのかもしれない。ラーンはイシェと一緒にカウンター席に座り、薄暗い店内をぼんやりと眺めていた。
「今日は仕事がないんだな」
ラーンの言葉に、イシェは小さく頷いた。最近、遺跡探索の依頼が減っていた。大雪で山道が閉ざされてしまうため、周辺の村々では遺跡への出入りが困難になっていたのだ。
「あのテルヘルはどうしているんだろうな?」
イシェは、ラーンの問いかけに返事をするよりも先に、カウンター越しに店の奥へと視線をやった。いつもならこの時間帯には、黒曜石のように光る瞳をしたテルヘルがワインを片手に座り、鋭い眼差しで客を見下ろしているはずだった。だが今日は姿が見えない。
「もしかして、ヴォルダン方面へ出かけているんじゃないか?」
イシェの言葉に、ラーンの顔色が変わった。「そんなはずはないだろう。あの女は、まだ俺たちと契約した仕事が残っている」
ラーンはそう言いながらも、不安げな表情を隠すことができなかった。テルヘルはヴォルダンへの復讐のため、彼らを利用していることは明らかだった。だが、その復讐心は深く、どこまで踏み込むか分からない。もし、本当にヴォルダンへ戻ってしまうなら、彼らの運命は?
その時、店のドアが開き、雪解けの冷たい風が店内に流れ込んできた。そして、背中に黒いマントを羽織ったテルヘルが姿を現した。彼女の瞳には、いつも以上に冷酷な光が宿っていた。
「準備はいいか?」
テルヘルは、ラーンとイシェに向かってそう問いかけた。その声は、雪解け水が凍えるような寒さを感じさせた。